古寺巡礼

古寺巡礼

作者:[日] 和辻哲郎

出版社:上海三联书店

出版年:2017-4

评分:6.5

ISBN:9787542656339

所属分类:行业好书

书刊介绍

内容简介

和辻哲郎 (1889-1960年),日本著名哲学家,伦理学家,文化史家,和日本思想史家。他将日本式的思想和西洋哲学结合,后人命名他的伦理学体系为和辻伦理学。1912东京帝国大学哲学系毕业。1917年奈良奈良旅游后,于1919年出版了代表作《古寺巡礼》奠定其在哲学界的地位。

作品目录

一 阿旖陀壁画的摹本:与希腊的关系:作为宗教画的意义:波斯使臣的画
二 哀愁的心:南禅寺的夜晚
三 若王子的房子:博物馆和西域壁画:西域佛头:犍陀罗佛头和广隆寺的弥勒
四 东西洋的浴室:从京都到奈良:酒店的餐厅
五 废都之路:新药师寺:鹿野苑的幻境
六 去往净琉璃寺的道路:净琉璃寺:戒坛院:戒坛院四天王:三月堂本尊:三月堂诸佛像
七 疲劳:奈良博物馆:圣林寺十一面观音
八 众多观音像,观音崇拜:写实:百济观音
九 天平的雕刻家:良弁:问答师:大安寺的雕刻家:唐招提寺的雕刻家、法隆寺的雕刻家:日本灵异记:法隆寺华盖的凤凰与天人:维摩像、铜板挤压佛
十 伎乐面具:面具的效果:伎乐的演奏:大佛开眼供养的伎乐:舞台:大佛殿前的观众:舞台上的表演:伎乐的装扮:林邑乐的表演:伎乐的新作品、日本化:林邑乐的变迁:秘传的弊端:伎乐面具与婆罗门神话:吴乐、西域乐、面具的传统:猿乐、田乐:能狂言与伎乐:伎乐与希腊剧、波斯、印度的希腊剧:婆罗门文化与希腊风格文化:印度剧与希腊剧:与中国、日本的交流
十一 蒸汽浴室:光明皇后施浴的传说:蒸汽浴室的传统
十二 从法华寺遥望古京城:法华寺的十一面观音:光明皇后与雕刻家:问答师:雕刻家的地位:光明皇后的模样
十三 天平的女性:天平的僧尼:师太
十四 西京:唐招提寺金堂:金堂内部:千手观音:讲堂
十五 唐僧鉴真:鉴真携来品目录:奈良时代与平安时代初期
十六 药师寺,讲堂药师三尊:金堂药师如来:金堂胁侍:药师的制作年代、天武帝:天武时代的飞鸟文化:药师的作者:药师寺东塔:东院堂圣观音
十七 奈良京的现状、圣观音的作者:玄奘三藏:笈多王朝的艺术、西域人的
合作:圣观音的作者:关于药师寺:把神变成人的形态:S氏的故事
十八 博物馆特别展览:法华寺弥陀三尊:中尊与左右胁侍的差异:光明皇后念持佛说
十九 西大寺的十二天:药师寺吉祥天女:印度的吉祥天女:天平的吉祥天女:信贵山缘起
二十 当麻山:中将姬传说:当麻曼陀罗:对净土的想象:久米寺、冈寺:藤原京遗迹:三轮山、丹波市
二十一 月夜的东大寺南大门:当初的东大寺伽蓝:月明的三月堂:N君的故事
二十二 法隆寺:中门内的印象:ENTASIS(凸肚状):希腊的影响:五重塔的运动
二十三 金堂壁画:金堂壁画与阿旃陀壁画:印度风格的衰退:日本人的痕迹:大壁小壁:金堂坛上:橘夫人的佛龛:纲封藏
二十四 梦殿:梦殿秘佛:费诺罗萨的看法:传法堂:中宫寺:中宫寺观音:日本特质:中宫寺以后
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作者简介

和辻哲郎 (1889-1960年),日本著名哲学家,伦理学家,文化史家,和日本思想史家。他将日本式的思想和西洋哲学结合,后人命名他的伦理学体系为和辻伦理学。1912东京帝国大学哲学系毕业。1917年奈良奈良旅游后,于1919年出版了代表作《古寺巡礼》奠定其在哲学界的地位。

精彩摘录

六浄瑠璃寺への道――浄瑠璃寺――戒壇院――戒壇院四天王――三月堂本尊――三月堂諸像 今日は浄瑠璃寺*へ行った。ひるすぎに帰れるつもりで、昼飯の用意を言いつけて出かけたのであったが、案外に手間取って、また案外におもしろかった。* 京都府相楽郡当尾村にある。奈良から東北一里半ほどである。 奈良の北の郊外はすぐ山城の国になる。それは名義だけの区別ではなく、実際に大和とは気分が違っているように思われた。奈良坂を越えるともう光景が一変する。道は小山の中腹を通るのだが、その山が薄赤い砂土のきわめて痩せた感じのもので、幹の色の美しいヒョロヒョロした赤松のほかにはほとんど木らしいものはない。それも道より下の麓の方にところどころ群がっているきりで、あとは三尺に足りない雑木や小松が、山の肌を覆い切れない程度で、ところ斑に山にしがみついているのである。そうしてその斑の間には今一面につつじの花が咲き乱れている。この景色は、三笠山やその南の大和の山々とはよほど感じが違う。しかしその乾いた、砂山めいた、はげ山の気分は、わたくしには親しいものであった。こういう所では子供でも峰伝いに自由に遊び回れる。ちょうど今ごろは柏餅に使う柏の若葉を、それが足りない時には焼餅薔薇のすべすべした円い葉を、集めて歩く季節である。つつじの花の桃色や薄紫も、にぎやかなお祭りらしい心持ちに子供の心を浮き立たせるであろう。谷川へ下りて水いたずらをしてももう寒くはない。ジイジイ蝉の声が何となき心細さをさそうまで、子供たちは山に融け入ったようになって遊ぶ。二十年前には自分もそうであった。それを思い出しながらわたくしは、故郷に帰ったような心持ちで、飽きずにこの景色をながめた。この途中の感じが浄瑠璃寺へついてからもわたくしの心に妙にはたらいていた。 しかし浄瑠璃寺へすぐついたわけではない。道はまだ大変だった。山を出て里へ出たり...

——引自第55页


此书里蕴含着笔者如今已经丧失的东西一一青春与热情。久居京都十年,笔者几次试图重写一部新的《古寺巡礼》,最终却无法实现,这就意味着,最初的那种青春热情,笔者已经不再拥有了。念及此处,笔者遂悟到,不能以自己如今的看法或意见来改写此书。若此书的优点是在于青春的热情,这种热情便与幼稚是不可分离的。正因为幼稚,彼时才能强烈沉浸在那般空想里。现在不管如何努力,也难以再演那时候的自由想象力的飞翔了。这么想来,三十年前从古美术里获得的深刻感动,以及被其唤醒的各种关心,是必须原封不动地好好保存的。

——引自第19页

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